スロット”る”(笑)立ち回り考察

無駄話シリーズ
…ついにシリーズ化?

4号機回顧録

6月末に大半の4号機が撤去され、番長ももう数日の命…
立ち回り的にも、私自身の5号機の稼動が8割を超えています。

さて、私のスロライフも今年で9年目に突入しようとしています。
で、もうトシなんで昔のこともかなり忘れてきてしまっていますが、
やはり昔の機種のアツさなんかを何かに書き留めておきたい…
そう思い、あたらにコーナーを立ち上げました。

とりあえず、駄文ですがお付き合いください。

 

【おしながき】

HANABI(2007.06.25up) ユニバーサル type A400

大花火(2007.06.27up) アルゼ type A700
※しんち氏より寄稿

AZTECA(2007.07.02up) Electro Coin Japan type B−CT
※しんち氏より寄稿

TERMINATOR(2007.07.03up) IGTジャパン type A400

HOT ROD QUEEN(2007.07.03up) 平和系オリンピア type B500

獣王(2007.07.04up) Sammy type A400−AT

Black Jac777(2007.07.04up) NET type A400−ST

ミリオンゴッド(2007.07.11up) アルゼ系ミズホ type C−AT

サラリーマン金太郎(2007.07.11up) サミー系ロデオ type A400−AT

キングパルサー(初代)(2007.07.26up) 山佐 type A400−ST
※CDミッション氏より寄稿

次回予告

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HANABI
ユニバーサル(現アルゼ)1998年
A-400(付加機能は一切なし)


基本かつ最強の出目「ゲチェナ」
美しい。


1/800の斜め氷orボーナス。
これまた美しい。


「遅れ」の真骨頂、変則押し
これは中押し2リールBIG確定。

 俺のスロライフはここから始まった…。いや、実際には一番最初に触ったスロットは007SP(高砂:現アビリット)、その次がThunderV(メーシー)だったのだが、スロットの魅力そのものに汚染されたのがこのHANABIからだった。
 職場の同僚に誘われるまま数度パチ屋に入店、ビギナーズラックで2連勝し、3度目に打ったのがこれ。さすがに3度目のため、コイン投入、レバーを叩きストップボタンを押す、の繰り返しにも大分なれた。まぁ、当然初心者だったんでトリオレ狙いだったんだが(^^;
 でも、「ナニか」惹かれるものがあったんだろうなぁ…。トリオレのインパクト、多彩なバックライトフラッシュ、奥ゆかしい「たまや」ランプ。
 で、悪いことにビギナーズラックがまだ続き、ついに1人でパチ屋に行ってしまい、ものの数時間で4万もの大金を手にした時には…震えた。で、翌日も同じ台に座り、またしても4万弱のプラス…。博才があると勘違いしました、えぇ(滝汗
 そこからしばらくの間まったく勝てなくなり、もうスロットなんてやらない方が…とまで思いましたが、負けたままなのが癪だったので一念発起、ちょうどHANABI生誕1周年記念特集を掲載していた某必勝ガイドを購入。DDT(小役回収)、リプレイハズシ、設定判別、リーチ目…元来が負けず嫌いで凝り性なため、これらの知識をとにかくあさりました。おかげで、収支も安定するように。
 さらにこの年(1999年)の忘れもしない12月28日、Dリームというホールにてのイベントで高設定台(…と言ってもせいぜい設定4程度。5・6判別落ちず)を奪取、7000枚ものコインを獲得できました。さすがに換金する時に後ろから刺されないものかとドキドキ(^^;
 技術介入、知識介入、はてはホール選びや台選びなどの立ち回りも含めて、スロットそのものの基礎を私に叩き込んでくれた台です。
 出目演出は、さすがに名機と歌われるだけあって秀逸なのですが、さらにそれらを引き立てるバックライトフラッシュでの花火の表現、リール始動時の音がずれて鳴る、いわゆる「遅れ」のアツさ…。すべてが絡み合って最高のゲーム性をかもし出しています。
 AT機全盛期の時もひたすらHANABIを打っていました。当時の稼動の8割以上はHANABI(他はAZTECA、大花火かな)。
 2006年6月末日、全国のホールから完全に撤去され、現役を引退。最後に打ったのが2006年6月19日、今は閉店したSンパレスでした。ちょうど翌日に撤去されたのでしたが、この日に打てたのはホントに偶然でした。最後にいい思い出をありがとう…。

 


大花火
アルゼ 1999年
A-700(最大獲得枚数は711枚。入賞時の払い出しを純増+12枚とすると708枚)


はじめに覚えた挟み打ち2確
最初はトリオレ枠下狙いで
DDTしてました。
だって、見やすいんだもん。


大花火を堪能する瞬間。
予告音発生、2リール停止で
鉢巻動かず(山orボーナス)。
中リール押せません。押すけど。


こいつはとあるネットカフェにて。
最初からビタはずしできてたら、
もっと打ち込んでいたと思う。

 どうも私(とんとん)は、大の山佐マニア…と思われている節があります。が、実は初期のアルゼ大好き人間だったのでした。 と言うことで、大花火。

 HANABIを本格的に打ち始めて数ヶ月。なんちゃってDDTも一応まともになってきて、HANABIの楽しさにおぼれている毎日を送っていたところ、某必勝ガイド(←「某」になってない)に「HANABIの後継機」として大々的に取り上げられたのがこの大花火でした。そのころ、4thリール機としては山佐に一日の長があり、アルゼ好きの私としてもぱっと見「シーマスターのパクリ?」とさえ思いました。が、やはりHANABIの後継機ということで、打たないわけにはいかないでしょう。今は亡き『GRANDPRIX』というパチ屋に新台で導入とのことで、わざわざ仕事を休んで朝の7時50分から並びました。そのころ北海道は冬真っ盛り。確か雪もちらついていました。寒くてトイレに行きたくなるわで、覚えています。
 そんな大変な思いをして並んだ挙句、結局午前中ぐらいしか打たなかったはず。理由はやはり、低確率のボーナスからくる不安感と、リプはずしでした。打っていて、やはりビタはずしをしないとかなり損をする…と、初心者ながらに感じたのでしょう。今思うともったいない(^^;

 結局、しばらくはまたHANABIに戻りましたが、スロ暦も1年、2年と重ねていくうちに目押しに日に日に自信が出てきて、次第に触る機会が増えてきました。

 おもしろいわ、これ

 鉢巻リールの小役告知が非常にあいまいで、メインリールと絡めると激アツポイントが満載なのに、遅まきながら気づきました。また、左リールのBARもやっと見えるようになってから、出目演出の豊富さに驚き、さらにBIG中のビタハズシが成功した時の胸からこみ上げてくるアツいものが、なんとも快感になってきました。間延びもアツかったですね。これまた変則押しで激アツ。

 自慢ですが(ぉ 人生初の万枚が大花火(忘れもしない、2002年8月21日、Mルハン北見店にて12158枚)でした。前日から下見をして狙い台を定め、それが的中した時の快感と言ったら…。AT機全盛期のころに、大量獲得機とはいえ付加機能が一切ついていないノーマル機での万枚ですので、喜びもひとしおでした。
 撤去間際はHANABIやAZTECAを打ち倒してしまったため、あんまりまわしてあげることができませんでした。でも、やっぱり好きでした。

 そうそう、この万枚を出した日に、隣でゴトやられました(^^;;; 明らかに不審な行動(袖に何かをしこみ、をれを台に当てて腕時計と睨めっこ…)。座ってものの数分もしないうちにBIG。台を変えてまたすぐBIG。頼むから止めてくれ(滝汗 と思ってました。


<しんち氏より寄稿>
4号機初期から中期にかけて、A400タイプはほぼ出尽くした感がありました。
花火やニューパル、サンダー等で、ややホールも「飽和状態」な感じ。
アステカが出て「CTってすげーぞ?」みたいな雰囲気も、所詮設定が入らなければ・・・そんな感じがしていた頃でした。

「MAX711枚の衝撃」

何を言い出すのかと思いきや、出て来た台はとんでもないスペック。
設定6の確率は、なんと花火とほとんど変わらず。
なのに、リプレイハズシを駆使すれば75%のアシストでさえ、理論平均枚数が500枚を遥かに越え、高設定域では万枚が完全に視野に入る・・・
そりゃ夢だろう?そんな台、設定入れる訳がないじゃん。

確かに、ホール導入からものの1週間も経たないうちに、ホールの設定は1ベタばかり。でもさ・・・何故か爆裂している台があるんだよ・・・なんで??
この単純な疑問が、俺が大花火を打つようになったきっかけ。
(この話は「大花火ワールド」でもしなかったかも??ww)

最初はボロ負けしました。
まずビタハズシの修得に、1ヶ月程度かけました。
最終的には「寝てても押せる」レベルにはなりましたが、大金使いましたねww
次は基本的なリーチ目を覚える事でしたが・・・
これが後の俺のスロットに対する姿勢を大きく変えました。

大花火は「左リールの停止位置」に対して、中、右それぞれに4本の制御フラグを持つ「1対4対4」制御台です。そして、基本的に左のスベリコマに対する中、右の制御によって同じ出目でも「入り目」「ガセ目」が存在する、アルゼ系では珍しい「法則の無いリーチ目」が存在する台でした。
わかりやすく言うと・・・

例えばこんな目。

 
 
   

右枠上ドン停止以外は、ほぼハズレ(演出による小役否定を除きます)。しかし、この出目は左が1コマスベリの場合、中リールが3コマ、右リールが2コマ以上のスベリが確認出来た段階で「リーチ目」となります。つまり、左の1コマスベリに対して「中3コマ+右2コマでの小役ハズレ」は全てリーチ目。
これが大花火の制御の特徴の一つ「成立G限定難易度が激高」だった理由です。

これ以降、大花火は元より、打つ台に関しての制御の見極めが楽しくて仕方なくなりました。そう言った意味では、変則押しで全部まる判りな5号機は、ちょっと物足りないですがねww
生涯収支で、多分大花火を越える台はもう二度と出ないでしょうね・・・

BIG中の1周押し&つばめ返し消化(1BIG消化時間3分弱の記録アリ)
連続青ドン出現時の1周押しビタハズシ(過去に2回だけ成功ww)
間延び1G連(過去に2回ほど)
MAX711枚もMIN372枚も数知れず。
一日に0パン、1パン、2パン、MAXを経験した事もありました。
最高枚数は9880枚・・・これが唯一の心残り。

撤去最終日、涙目で消化したBIGはきっと、一生忘れないかもね・・・

(wrriten by しんち氏)

http://ameblo.jp/sinchs

 

 


AZTECA
Electro Coin Japan(現 エレコ) 1999年
B-CT(チャレンジタイム搭載:200枚以上獲得・150G消化・BIG成立で終了)

挟み打ち2確。
右枠上白7がまぶしい。

コレも好きな2確

左で小役以上確定、右で
小役否定。小役ハズレ目も
豊富だった。

CT中中押し2確。
このままそろえて台枠ランプを
光りっぱなしにするもよし、
わざとはずしてCTの曲が
ふっと消えるのを堪能するもよし

CT中のお遊び。

CT中サボテン現状維持。
目押し力が鍛えられた。

 私がいそいそとHANABIを打っていたころ、私のスロ師匠は別な台を好んで打っていた。その台とは…毒々しくケバい配色、300枚前後しか獲得できないBIG、CTというなんだかわけのわからない機能。そう、AZTECA。
 師匠は私に、しきりにAZTECAを勧めたが、まだスロットを始めて数ヶ月。HANABIを打ちこなしてやっとスロットの何たるかが「ちょっぴり」わかり始めてきたころで、まだまだ他の台を打ち始める余裕なんてなかった。
 さて、AZTECAを打ち始めたきっかけは何だったかな…と思い出そうとしてみても、いまいちよく思い出せない。いつの間にか稼動が上がっていた感じ。日記を見てみると、一番古いのは2000年の1月 15日に、今は亡きGRANDPRIXで、とある。「久々に」と書いてあったので、少なくとも年末ぐらいからは打っていたんだな。
 リール制御的にはテーブル式とコントロール式を併用、という変態チック。これがまた、出目演出がわかってくると面白い。はじめは「なんで7が一直線なのにNGなの?(下段白7・アチシの青7・白7)」とか、「何でコレで入ってるの?(ササシサボコブ)」とか、とにかく頭ン中が??? だったのだが、わかってくるようになるとその出目演出にどっぷり。
 私は通常時は白7or青7左上段狙いの挟み打ちなのだが、2確好きな私にとって挟み打ち2確がとにかく満載だったのが、のめりこんでいった原因のひとつか。「左上段青7→右枠上白7」「左シシボ→右帽子ノーテン」「ササシ→右サチアor右上段白7or右4コマすべり白7下段テンパイ」…とにかく美しいものばかりだった。
 また、CTの消化も魅力のひとつ。はじめはLEDが緑になったらデカチリはずして、赤になったらデカチリ取って…の、普通のCT−MAXでの消化だったのだが、それでも十分楽しめた。デカチリを狙ったはずなのにずるんと枠下に滑って行って音楽が消えたり、デカチリはずすのに右押ししたところ、通常は右中段に帽子が止まるはずなのに「サチア」が止まったり。まさしく初心者にも楽しめるCT機だった。
 さらに目押しに自信が出てくるようになると、CT中に中押ししてのサボテン現状維持打法にチャレンジ。まぁ、中押しなんで制御的にサボテンが揃えやすいのだが、それでも右はタイミング押しでなるべく見ないで押すようにするだけでも、自己満足できたものだった。CT中中押し白7中段停止→右下段白7停止のリプ非テンパイで失禁、白7下段停止→右枠上に白7を狙ったところ枠下から下段までカッ飛んできて放尿…と、スベリや出目演出がこんなに楽しいものなのか、と再認識させられました。
 最後に打ったのが、2006年6月某日。ちょうど職場の後輩が退職して実家の山形に帰り、久々に遊ぼうかということでわざわざ仙台に集合したのだが、その時にみんなに無理言って打たせてもらった。みんながいる手前、6時間ほどしか打てなかったが、まさしくAZTECAの集大成のごとくいろいろな出目が見られ、とても満足だった。
 AZTECAよ、永遠なれ…。
<しんち氏より寄稿>
花火でスロットデビューを飾った俺。
しかし、遅れやリーチ目の楽しさも多少半減してきた頃。
(多分、設定状況もかなり悪かったと思う。設定1のフル攻略機械割が出た頃だし)
そいつはホールの片隅にひっそりいましたww

当時、CTと言えばマンクラ。
ビタ押し出来ない若輩者には手が出ない、高い技術介入度と激甘なスペックを誇っておりました。
打ちたかったんだよ?俺も・・・マンクラ(苦笑)
でもさ・・・俺には当時押せなかったんだよ・・・

そしたら、ホールの隅っこに「やけにラテン系な」台が置いてあるじゃないですか。「アズテカ」??あ、「アステカ」って読むんだ。
なんだ?古代インカ文明だったか? つか、歴史モノのスロットか?(爆)
当時の認識なんてそんなモン。

ところが、いち早くこの台のスペックに気付いていたのが我が弟。
一通り打ち方を教わるうちに・・・ドハマリした。
つか、ぶっちゃけ花火打たなくなりましたもん(爆)
Bタイプって事には驚きましたが、問題なかったですね。
だって、CT引ければ+200枚だし、しかもCT連した日には、一気に1000枚とか!!
こりゃすげぇ!!!

んで、運命の日ですわ。
朝から当時出来たばかりの「札幌の角にある超巨大店」VV(笑)に行った俺。
最初は花火かB−MAX狙いだったのだけど、狙い台を取れず仕方なく当日イベント対象外だったアステカへ。
低設定なら撃沈確定につき「せめてCT引けて連しなかったら帰ろう」程度のモチベーション。

普通は勝てないですよ・・・この条件じゃ。
運が良かったのか、残りものにものすごい福があったのか・・・
最初に引いたBIGがCT付きで、そこから確か3連だったかな?
もうほとんど記憶も薄れましたが、結局終日でBIG50回近くまで引いた。
CTは何回引いたか覚えてないし・・・
人生初の万枚オーバーは15,000枚と、5割増のおまけ付きでしたww

単純ですが、制御が面白い。
引き込んできた役を狙ってハズれてもリーチ目にならない。
「それはチリの引き込み掛かってるんだよ、きっと」と言われた時の衝撃はいまだに忘れられず。
半周以上も遠くの絵柄引き込まれてもねぇww
通常時ですら、そんなマニアな制御がCT中はもっと面白かったですしね。
特に中押し「4コマスベリチリ付き青7降臨」は、出ただけで拝めますwwつか、拝め(爆)
変則押しの楽しさに目覚めたのも、アステカからですかねー。
(結局、大花火では変則押しがつまらなくて元に戻りましたがww)
サボテン取ってのCT−MAXで、目押し力が半端なく付きましたし。

花火がスロットを教えてくれた先生なら、アステカはスロットの楽しみを増やしてくれた先輩
みたいな感じですかね?(何故に学園モノ?ww)

(wrriten by しんち氏)

http://ameblo.jp/sinchs

 

 


TERMINATOR
IGTジャパン 2001年
A-400(付加機能は一切なし)

 HANABI、AZTECAでの立ち回りも半ばマンネリ化していたころ。当時職場の同僚だったSズキさんが「新台のTERMINATORが打ってみたい!」と、あんまり乗り気でない私を誘い、Dリームへ。IGTという得体の知れないメーカー(当時の私にとって、という意味(^^; )、不慣れなドットマトリックス演出。はじめのうちはおっかなびっくり回していました。まぁ、初打ちに低投資でバケ(初打ち初当りはバケ比率激高(^^; )があたり、そこからそれなりに連荘してくれてけっこう楽しめたので、印象はよかったです(新台導入ということで、設定状況がそれなりだったんだろうが)。まぁ、その後収支があがったかどうかは別問題ですが(滝汗
 ただ、これをきっかけに他の台にも食指をのばす様になったのは、喜ばしいことかと。ある意味、立ち回りの幅を広げてくれた台ですね。
 あ、肝心のゲーム性ですが、リール2コマを使ったターミネーター絵柄(シュワルツェエッガーが銃構えている、ターミネーター1でのあのポーズです)は、ターミネーター大好きだった私には好印象でした。リールの視認性もよく、出目もそれなりに楽しめたはずだったなぁ…。BIGの獲得枚数も若干多めで甘さぷんぷんだった気が…かなり昔のことなんで(^^; ドットマトリックスでの演出もチープではあったがそれなりだったかな。小役告知でハズレてボーナスっての、実はあんまり好きではなかったが、まぁこれも初打ちの好印象から来るものなのでしょうね。あと、ドットでのナビで「7orシュワ」とかね。のけぞっちゃった。
 残念ながら導入店が少なかったのと、唯一の導入店がボッタ店だったのとで、あっという間に私の視界から消えてしまいました。そう考えると、不遇台だったのかも。

 


HOT ROD QUEEN
ロックユークイーンではない(ぉ
平和系オリンピア 2001年
B-500(付加機能は一切なし)

 TERMINATORで気を良くしてからというもの、山佐のアラベスクやら何やらを打ってみたりしたが、いまいちしっくりこなかったある日、そいつが導入された。ホットロッドクイーンである。
 Bタイプながら450枚前後もの大量獲得。無音遅れ搭載と、スペック、演出ともにアツい。出目的にも順押しと挟み打ちで法則が変わったりして、探究心をくすぐられた。無音をはじめて聞いた(無音を聞いた? 変なの)時にはかなりしびれたなぁ…。
 さらにそれなりに連荘もしてくれたため、連荘時にはコインがもりもり増えて爽快。BIGしかないのもよい。俺って、初打ち初あたりはバケ比率激高だからさ…。
 初打ちでいきなり1200Gオーバーのストレートハマリを喰らってしまったが、導入された月は割と打っていました。その後は…結局同時期に栄華を誇っていたDELSOL、WARD OF LIGHTS、どんちゃん2などにウツツを抜かしてしまいましたとさ。
 これも不遇台といっていいかも知れません。今考えるともう少し打っておけばよかったなぁ。

 


獣王
Sammy 2001年
A-400AT(アシストタイム)

 いくらAT機をメインで打つことはなかった、とは言え、避けては通れない機種は何機種かある。そのうちの1台は、爆裂AT機の始祖「獣王」をあげるべきでしょう。
 システム的には、内部で12通りの15枚役が超高確率で成立しており(ほぼ毎ゲーム)、通常はそのほとんどをとりこぼす。これが、爆裂AT「サバンナチャンス」に突入すると、12通りの15枚役を10or30G間ナビしてくれる。しかも連荘性あり。設定6は万枚必至、2万枚も射程圏内…と、夢があった。
 当時ホームグランドとして通いつめていたニュータウンNゴヤに新台で導入される、とのことで、朝イチから並んでみました。お座り一発でBIGからほどなくサバ連突入、午前中で一撃5000枚オーバー!! …隣がねorz 俺も低投資でBIG1発と高確中にサバ当ったけど単発。その後も低確でもう一発引くなど、今考えると偶数設定だったんだろうなぁ。ただ、隣の台が朝から爆連していたのと、仕事で昼に一度職場に行かなければ行けなくなったのとで、結局午前中だけの実戦。
 昼過ぎに戻ってきて、HANABIの高設定据え置き狙いで午前中の負債を取り戻した時に、あぁ、やっぱり俺はこいつ(HANABI)メインなんだなぁ…と改めて痛感しました。これ以降、AT機を打つことは気まぐれや負けが込みすぎて気を失っていた以外では打つことはほとんどなかったのですが、獣王撤去直前の数ヶ月間は、わりとそこそこ打っていました。なんでだろ、ホール的にもそんなに高設定おいていなかったのに。…あぁ、思い出した。天井狙いだわ。
 この台に関してはいい思いではほとんどないのですが、ブランク絵柄でスカスカなリール配列も慣れれば味があったし(中リール三連ブランク→左チェ否定とかでしびれた)、チープなドット演出もあれはあれでよかったし(猛獣王は液晶になって打ち手の想像力が働かなくなってしまった)、AT中の15枚役は絵柄の押しわけが必要でしたが、この後主流になる押し順ATよりも私は絵柄押し分けの方が好きでした。スロットは絵柄を狙ってナンボでしょ?。
 もっと大味なゲーム性かと思ったら、設定推測要素も満載でしたし、ATを早くに消化すると+1Gって技術介入もあったりとか、今考えると何をそんなに恐れて触らなかったのかなぁ…と、いまさらながら後悔しています(^^;

 

 


BlackJack777
NET 2001年
A-400ST(ストックタイム)

 4号機もAT機の出現により、さまざまなゲーム性の台が出てきた。獣王の出現・大ヒットにより、今後はAT機が主流になる。誰もがそう思っていたと思う。しかし、AT機衰退後に繁栄を誇ったシステムの始祖が、獣王と同時期に登場していたのをいったいどれだけの人間が覚えていただろうか。
 ボーナスストックシステム「ストックタイム」を初めて搭載した「ブラックジャック777」である。
 システム的には、BIG成立ゲームの次ゲームから「ストックタイム」と呼ばれるRT(リプレイタイム)に突入。超高確率でリプレイが『揃い』、他に小役をナビ。ジョーカーのカードが出たらボーナスストックのチャンス(ボーナス成立orハズレ)。RTは33Gor777Gで、ロングRT時の破壊力は絶大。RT終了後にその間に当選したボーナスをすべて1G連で放出。RTでの増加分+RT中のストックボーナスで一撃数千枚も可能だった。
 打った回数はそれこそ3回程度しかなかったが、初打ち数千円でいきなりST突入。「はいはい、どうせ33Gでしょ。とっとと消化して帰りましょ…」と思っていたら33G目の分岐点で777の文字が…(^^;;; 相当焦りました。このあと用事があるんだよ〜って。結局一撃3000枚。まぁ、おいしい思いをしたのは後にも先にもコレっきりでしたが、この後このST機能にどっぷりとはまるなんて、このときには夢にも思いませんでした…。

 


ミリオンゴッド
ゴールドXR

アルゼ系ミズホ 2002年
type-C-AT

ミリオンゴッド
 獣王から世にはびこりだした爆裂AT機。サラリーマン金太郎やアラジンAなど、時速5000枚、終日で8万枚…という、ギャンブル性も行くところまで行ったか、というころ、最終兵器が登場した。「ミリオンゴッド」である。約5000枚が確定する究極の役「プレミアムゴッドゲーム(PGG)」を引っさげての登場だった。新装初日から2万枚、3万枚続出。ただし逆噴射も多数。1日で30万は負けれる…とうぜん私はまず触ることがありませんでした。あ、新装初日に3千円ほど回してみたかな(^^; こりゃぁ、スロットじゃねぇな、それが第1印象でした。いや、今もそれは変わらないけど。
 大花火で人生初万枚を達成した翌9月某日。いつものようにHANABIの高設定狙いをするもスルー。ちょっと手持ち無沙汰になったため、話のネタにちょっと回してみようか、と適当に着席。4本ほど入れてちょっと飽きかけていたところにノーマルゴッドゲーム(NGG)当選。単発だったんだけどね。まぁ、飲ませてやめよう…と思っていたところにスーパーゴッドゲーム(SGG)当選。ここからがわけがわからずの大爆連。リプ3やら追加のSGGやらなんやらで上乗せにつぐ上乗せ。ものの2時間ほどで万枚突破(11000枚)。先日の大花火での終日で1万枚の苦労はなんだったんだろう…と、いうむなしさと、GG中押し順を間違えちゃダメだ、というヘンなプレッシャーとで、疲れただけでした。そりゃぁ2ヶ月連続で万枚突破はうれしかったけどね。
 その後も何度か触る機会はありましたがとうぜんそうそういいことはあるわけでもなく。挙句の果て、もういい加減勝てないなぁと思い、とあるホールでゴッドと対で設置されていたバベルを打っていたころ、おっさんがものの数分でPGG4連荘。あほらしくなりました。
 これまた万枚以外いい思い出がなかったのですが、唯一の心残りが「PGGを引いていない」ということでした。これは結局ゴッドが撤去されるまでには達成されることはなかったのですが、スペック違いの「ゴールドX R」にて念願のPGGを引くことができました。まぁ、こいつは300G(or100G)のATで3000枚(or1000枚)役に格下げなんですが、でも引けただけで満足ですわ。

 例の規制への一連の流れを作った悪名高い台でしょうが、でも負けるのがいやなら打たなければいい。ちょっと遊ぶ分には夢があっていい、という点では、私はこういう台も認めてもいいのでは? とは思いました。いろいろな種類の台が提供されて、それを選ぶのはあくまでユーザー(打ち手)なのですから。

画像はゴールドXRのもの

 SGG(スーパーゴッドゲーム)
こいつはそこそこ引けた
 

何年越しになるだろうか、
ゴールドXRにて初神降臨
震えすぎて画像ぶれた

 

 


サラリーマン金太郎
サミー系ロデオ 2001年
type-A400-AT

 本宮ひろしの漫画、好きです。でも、スロットともなると…しかもそれが爆裂AT機じゃぁ、触る機会はまずありませんでした。
 …なんで取り上げたのかって? そりゃぁ、おいしい思いをしたことがあるからに決まってますって(^^;
 システム的にはAタイプの押し順AT機。時速5000枚が売りでした(ポスターか何かに書いてなかったかな)。

 スロットを打ち始めて3ヶ月後から収支をつけ始めていたのですが、決まって11月は必ず大負けする、ということに気づきました。ホールが回収時期なのか、いや、それでも勝っているやつは勝ってるし…。右往左往しながらやけくそに座ったサラリーマン金太郎。一応天井狙いだったんだが、そいつでまさかの大逆転! …といっても5000枚だったんだけどね。でも、ぜんぜん勝てていなかった数日間の収支をひっくり返したその破壊力、意外と面白かった出目演出や液晶演出。これまたいまさらながらもう少し打っておけば…と悔やまれる台でした。「まだまだぁ〜っ!」って金太郎の叫び声、今でも思い出します。
 私よりも私の弟子が好んで打っていましたわ(^^;

 

 


キングパルサー(初代)
山佐 2001年
type A400-ST

 いやぁ、びっくりしましたわ。あらためて日記を見返してみると、今までネオプラの方を先に打っていたと思っていたら、しっかりキンパルが最初でした(^^; ってことで、キンパルを先にご紹介。

 ネットのBlackJackから端を発したストック機。当初はボーナス成立時or消化後のART(AT+RT)中にストックを貯めて全放出、というタイプ(サミーのハードボイルド2)が主流でしたが、山佐から4号機終焉までのスロット界を支えるシステム「サイレントストック」を搭載した機種がリリースされました。「スーパーリノ」、そして「キングパルサー(初代)」です。
 それ以前のストック機は、ボーナス成立時orボーナス消化後にRTに突入し、リプレイが揃いまくりつつ小役も引くため、RT中はコインが増加してきました。ところがスーパーリノは、内部で超高確率で成立したリプレイを制御で強制的に取りこぼして表面上は通常時と変わらず、ST解除要因を満たすとSTゲーム数テーブルを用いて意図的にストックしたボーナスを連荘させる、というものでした。スーパーリノは、以前裏モノとして猛威を振るっていた「リノ」の5G連Ver.(この表現が合っているのかどうかは…ゴメン、打ったことないんだわ(^^; )をストック機能を用いて再現したものでした。ただ、このスーパーリノ、ST中と非ST中でハズレ時に制御が変わってしまっていたため、ST中かそうでないかがある程度見抜けてしまっていたのです。そのため、早々に末期症状(ゾーン抜け即ヤメ多発)へと…。
 そのST継続ゲーム数選択テーブルを改良し、ニューパルで実しやかにささやかれていた「山佐連」をうまく再現したのが「キングパルサー」です。
 チープながらも味のあるドット絵での、15G前、5G前から始まる蛙の連続演出。バウンドストップ、通常時及びBIG中の技術介入、設定判別およびボーナス放出ゲーム数を材料とした設定推測。凝り性の私はすぐにとりこになりました。
 もちろんST中と非ST中のハズレ時の制御は改良されていたため、ストックの有る無しは推測するしかなく、立ち回りにおいて個人の技量がモロに影響していました。
 日記を見返すと、初打ちは2002年4月25日、本格稼動が7月12日、初勝利は8月12日となっていました。まぁ、本格稼動と言ってもこのころはまだ全体の1割程度で、ストック機ではアルゼのバベルを少々、他はまだまだHANABIと大花火がメインでした。が、8月中旬の初勝利を機に次第に稼動が上がっていき、年末にはネオプラとキンパルがほぼ半々の稼動、2002年および2003年の収支に大きく貢献しました(2001年までは年間+50マソぐらいだったのが、2002年にはあと一歩で大台。2003年は大台を軽く突破し、150マソオーバー。ホント蛙サマサマでした)。
 高設定を打ったことはほとんどなく、唯一ストック切れっぽい6を終日粘り倒して5000枚獲得した時には、ホントに攻略しているって気になりました。恐らく低設定ばかりを打たされていたにもかかわらず、収支的には大幅なプラスとなったのは、その特異な立ち回り(設定狙いよりもストック数狙いを重視)に寄るところが大きかったと思います。
 また、立ち回りで四苦八苦していたころ、某白夜書房の某パニック7が運営していた掲示板(公式運営ではなく、編集者の1人が運営していたらしい)を知り、ここで論議を交わしていくうちにo.s.k.の面々との交流が育まれていきました。惜しむらくは、パニック7の掲示板が荒らしにより閉鎖へと追い込まれたこと(携帯サイトは現存)。o.s.k.のメンツとは、各自のHPや掲示板等で人脈を繋ぎつつ、現在も掲示板、ブログ、携帯メール等(笑)で交流が続いているのは、私にとってはキンパルのおかげと言っても過言ではありません。
 5号機規定の発表に伴うみなし機種の再認可申請により、2007年6月末日まで現役稼動、ひっそりとご引退されました。ホントにご苦労サマでした。

 やまさんのHPでも4号機回顧録で初代キンパルが紹介されています。
 また、o.s.k.メンバーCDミッション氏より寄稿して頂きました(私とは対照的に、6狙いで立ち回っていた方です。この様に幅広い立ち回りが出来たのもキンパルならでわ)。この場を借りてお礼申し上げますm(_ _)m
 

 


レアリプレイ解除。
この出目がわかるようになってから、さらに虜に。


こいつもレアリプレイ解除目。
右上段にボーナス絵柄を引き込まない形が美しい。


左6番チェリー狙い時の
BIG2確。
左のスベリが気持ちいい。
前兆時には積極的に狙った。


CDミッション氏より寄稿>
 私が最初にキンパルを打ったのは、発売されて間もない頃でした。知人が座っている横にちょこんと座って、10kくらい使って止めた記憶があります。
 当時はAT&液晶全盛期の頃だったので

「ツマンネぇ〜、なんだこれ!怒」

 で、終わった記憶があります。
 そんな私を一変させる事が起きたのです。
 サラ金で負債を抱え、テーブルが分かったキンパルの島へフラフラと夢遊病者のように足を踏み入れると、5台の中で1台だけ空いてる台がありました。何となく座った台ですが、履歴を見ると超撃沈台でした。
 当時はテーブルも一般的に知れ渡って無かったので、そそくさと打ち込み始めると、安い投資から4時間くらい?で4k枚の獲得!

「この台は知っていれば食えそうだ...」

 その日からデーターを取り、予想ストック数を割り出し、ほぼ毎日の出動〜データーを蓄積していけば自ずと収支は安定し始めました。
しかし、私を再びどん底へ突き落とすような出来事が...そうキンパル打ちなら誰でも喰らう「天井越え」でした。

「ストックありそうなのに、何故?」

 そこでテーブルをきちんと理解するまで自分なりの考えをまとめました。

「キンパルは内部はニューパル、切れて当然、切れるとRTテーブルが深めが選択されやすい」
「つまり、1発ハマリ台を狙うのでは無くて一度深くハマって、大した放出をせずに128Gで捨てられている台を打った方がリスクが小さいのではないか?」

 もちろん、全ての台にこの打法が当てはまる訳ではありませんので、あくまで優先順位の最上位に位置付けました。その方法で更なる安定した収支をあげていました。
 その頃に変な台の存在を知ったのです。
 友人が隣で打つ台は前兆演出が無く、ポコポコと初当たりを引く...
 友人には演出等の事には一切触れず
「6なの?」
 と、問いかけてみると
「そうらしい」
 この出来事が私の立ち回りを変えさせる要因になりました。
「演出が無くて、当たれば6の可能性大」
「何故に、演出が入らない?」
 この解答はすぐに出ました。
 私はこう仮定しました。
「キンパルの前兆は解除前15Gに前兆演出の有無が内部判定される。もし、この15G前にストック無くて、内部成立→15G以内の解除の場合は演出テーブルが確定演出だけになるんじゃないか?」
 この頃になってもサブ基盤の解析は無かったので今でも謎ですが、私的には、ほぼ合っていると思います。
 それからは「6」狙いに徹し、ストック数は一切無視での立ち回りになりました。

 そんな私もこの日がやってきました。

2007年6月30日
 私用をすませカミさんに了解をもらい最後のキンパル打ちに。
 履歴から偶数設定ぽいのを選び出し、実戦開始です。
 打ち始めは130G
 色々な思い出が走馬燈のように頭の中を駆け回ります。
 人為的に偏りを持たせたストック機、幾度と無く天井越えてコイン投入口にセメントを流し込もうと思ったあの日...
 設定4なのに9500枚も出たあの日...
 設定6で友人と二人で10マソ負けて、翌日 会社サボって、ストック狙いしたらストックが0だったあの日...
 毎回のように6を掴んでいて時間いっぱいで取りきれず止めをして悔しくて強制打ち込みを思いついたあの日...
 どれも、今となっては楽しい思い出です。

 辛い事もありましたが、私の中では昨今の機種より楽しいのは事実です。
 つーか、多分 今までの機種で2番目に楽しかった機種です。
 1番目はファイヤーバード7Uですけど...激爆

 そして、リールも回ります。

 回ります。

 回り...あれ? 当たらないぞ!!

 つーか、頭上のカウンターは1280Gですが...(TT)
 一時は「当たるまで回そうか?」とも思いましたが、私らしくないので1300Gで止めました(笑
 最後の最後に天井越えとは...爆

追伸...
ネタじゃないです、マヂで越えました。
あまりに悔しかったのでダック氏に電話を掛け愚痴をこぼしました(泣


(wrriten by CDミッション氏)

次回予告 押忍!番長 ←間違い

ワリ、ホント、今度こそ

ネオプラネット

なのねん。

 

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