スロット”る”(笑)立ち回り考察
無駄話シリーズ
…ついにシリーズ化?
4号機回顧録
6月末に大半の4号機が撤去され、番長ももう数日の命…
立ち回り的にも、私自身の5号機の稼動が8割を超えています。
さて、私のスロライフも今年で9年目に突入しようとしています。
で、もうトシなんで昔のこともかなり忘れてきてしまっていますが、
やはり昔の機種のアツさなんかを何かに書き留めておきたい…
そう思い、あたらにコーナーを立ち上げました。
とりあえず、駄文ですがお付き合いください。
【おしながき】
HANABI(2007.06.25up) ユニバーサル type A400
大花火(2007.06.27up) アルゼ type A700
※しんち氏より寄稿
AZTECA(2007.07.02up) Electro Coin Japan type B−CT
※しんち氏より寄稿
TERMINATOR(2007.07.03up) IGTジャパン type A400
HOT ROD QUEEN(2007.07.03up) 平和系オリンピア type B500
獣王(2007.07.04up) Sammy type A400−AT
Black Jac777(2007.07.04up) NET type A400−ST
ミリオンゴッド(2007.07.11up) アルゼ系ミズホ type C−AT
サラリーマン金太郎(2007.07.11up) サミー系ロデオ type A400−AT
キングパルサー(初代)(2007.07.26up) 山佐 type A400−ST
※CDミッション氏より寄稿
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俺のスロライフはここから始まった…。いや、実際には一番最初に触ったスロットは007SP(高砂:現アビリット)、その次がThunderV(メーシー)だったのだが、スロットの魅力そのものに汚染されたのがこのHANABIからだった。 職場の同僚に誘われるまま数度パチ屋に入店、ビギナーズラックで2連勝し、3度目に打ったのがこれ。さすがに3度目のため、コイン投入、レバーを叩きストップボタンを押す、の繰り返しにも大分なれた。まぁ、当然初心者だったんでトリオレ狙いだったんだが(^^; でも、「ナニか」惹かれるものがあったんだろうなぁ…。トリオレのインパクト、多彩なバックライトフラッシュ、奥ゆかしい「たまや」ランプ。 で、悪いことにビギナーズラックがまだ続き、ついに1人でパチ屋に行ってしまい、ものの数時間で4万もの大金を手にした時には…震えた。で、翌日も同じ台に座り、またしても4万弱のプラス…。博才があると勘違いしました、えぇ(滝汗 そこからしばらくの間まったく勝てなくなり、もうスロットなんてやらない方が…とまで思いましたが、負けたままなのが癪だったので一念発起、ちょうどHANABI生誕1周年記念特集を掲載していた某必勝ガイドを購入。DDT(小役回収)、リプレイハズシ、設定判別、リーチ目…元来が負けず嫌いで凝り性なため、これらの知識をとにかくあさりました。おかげで、収支も安定するように。 さらにこの年(1999年)の忘れもしない12月28日、Dリームというホールにてのイベントで高設定台(…と言ってもせいぜい設定4程度。5・6判別落ちず)を奪取、7000枚ものコインを獲得できました。さすがに換金する時に後ろから刺されないものかとドキドキ(^^; 技術介入、知識介入、はてはホール選びや台選びなどの立ち回りも含めて、スロットそのものの基礎を私に叩き込んでくれた台です。 出目演出は、さすがに名機と歌われるだけあって秀逸なのですが、さらにそれらを引き立てるバックライトフラッシュでの花火の表現、リール始動時の音がずれて鳴る、いわゆる「遅れ」のアツさ…。すべてが絡み合って最高のゲーム性をかもし出しています。 AT機全盛期の時もひたすらHANABIを打っていました。当時の稼動の8割以上はHANABI(他はAZTECA、大花火かな)。 2006年6月末日、全国のホールから完全に撤去され、現役を引退。最後に打ったのが2006年6月19日、今は閉店したSンパレスでした。ちょうど翌日に撤去されたのでしたが、この日に打てたのはホントに偶然でした。最後にいい思い出をありがとう…。 |
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どうも私(とんとん)は、大の山佐マニア…と思われている節があります。が、実は初期のアルゼ大好き人間だったのでした。 と言うことで、大花火。 HANABIを本格的に打ち始めて数ヶ月。なんちゃってDDTも一応まともになってきて、HANABIの楽しさにおぼれている毎日を送っていたところ、某必勝ガイド(←「某」になってない)に「HANABIの後継機」として大々的に取り上げられたのがこの大花火でした。そのころ、4thリール機としては山佐に一日の長があり、アルゼ好きの私としてもぱっと見「シーマスターのパクリ?」とさえ思いました。が、やはりHANABIの後継機ということで、打たないわけにはいかないでしょう。今は亡き『GRANDPRIX』というパチ屋に新台で導入とのことで、わざわざ仕事を休んで朝の7時50分から並びました。そのころ北海道は冬真っ盛り。確か雪もちらついていました。寒くてトイレに行きたくなるわで、覚えています。 そんな大変な思いをして並んだ挙句、結局午前中ぐらいしか打たなかったはず。理由はやはり、低確率のボーナスからくる不安感と、リプはずしでした。打っていて、やはりビタはずしをしないとかなり損をする…と、初心者ながらに感じたのでしょう。今思うともったいない(^^; 結局、しばらくはまたHANABIに戻りましたが、スロ暦も1年、2年と重ねていくうちに目押しに日に日に自信が出てきて、次第に触る機会が増えてきました。 おもしろいわ、これ 鉢巻リールの小役告知が非常にあいまいで、メインリールと絡めると激アツポイントが満載なのに、遅まきながら気づきました。また、左リールのBARもやっと見えるようになってから、出目演出の豊富さに驚き、さらにBIG中のビタハズシが成功した時の胸からこみ上げてくるアツいものが、なんとも快感になってきました。間延びもアツかったですね。これまた変則押しで激アツ。 自慢ですが(ぉ 人生初の万枚が大花火(忘れもしない、2002年8月21日、Mルハン北見店にて12158枚)でした。前日から下見をして狙い台を定め、それが的中した時の快感と言ったら…。AT機全盛期のころに、大量獲得機とはいえ付加機能が一切ついていないノーマル機での万枚ですので、喜びもひとしおでした。 撤去間際はHANABIやAZTECAを打ち倒してしまったため、あんまりまわしてあげることができませんでした。でも、やっぱり好きでした。 そうそう、この万枚を出した日に、隣でゴトやられました(^^;;; 明らかに不審な行動(袖に何かをしこみ、をれを台に当てて腕時計と睨めっこ…)。座ってものの数分もしないうちにBIG。台を変えてまたすぐBIG。頼むから止めてくれ(滝汗 と思ってました。 |
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右枠上ドン停止以外は、ほぼハズレ(演出による小役否定を除きます)。しかし、この出目は左が1コマスベリの場合、中リールが3コマ、右リールが2コマ以上のスベリが確認出来た段階で「リーチ目」となります。つまり、左の1コマスベリに対して「中3コマ+右2コマでの小役ハズレ」は全てリーチ目。 |
HANABI、AZTECAでの立ち回りも半ばマンネリ化していたころ。当時職場の同僚だったSズキさんが「新台のTERMINATORが打ってみたい!」と、あんまり乗り気でない私を誘い、Dリームへ。IGTという得体の知れないメーカー(当時の私にとって、という意味(^^; )、不慣れなドットマトリックス演出。はじめのうちはおっかなびっくり回していました。まぁ、初打ちに低投資でバケ(初打ち初当りはバケ比率激高(^^; )があたり、そこからそれなりに連荘してくれてけっこう楽しめたので、印象はよかったです(新台導入ということで、設定状況がそれなりだったんだろうが)。まぁ、その後収支があがったかどうかは別問題ですが(滝汗 |
いくらAT機をメインで打つことはなかった、とは言え、避けては通れない機種は何機種かある。そのうちの1台は、爆裂AT機の始祖「獣王」をあげるべきでしょう。 |
4号機もAT機の出現により、さまざまなゲーム性の台が出てきた。獣王の出現・大ヒットにより、今後はAT機が主流になる。誰もがそう思っていたと思う。しかし、AT機衰退後に繁栄を誇ったシステムの始祖が、獣王と同時期に登場していたのをいったいどれだけの人間が覚えていただろうか。 |
ミリオンゴッド |
画像はゴールドXRのもの
SGG(スーパーゴッドゲーム)
何年越しになるだろうか、 |
本宮ひろしの漫画、好きです。でも、スロットともなると…しかもそれが爆裂AT機じゃぁ、触る機会はまずありませんでした。 …なんで取り上げたのかって? そりゃぁ、おいしい思いをしたことがあるからに決まってますって(^^; システム的にはAタイプの押し順AT機。時速5000枚が売りでした(ポスターか何かに書いてなかったかな)。 スロットを打ち始めて3ヶ月後から収支をつけ始めていたのですが、決まって11月は必ず大負けする、ということに気づきました。ホールが回収時期なのか、いや、それでも勝っているやつは勝ってるし…。右往左往しながらやけくそに座ったサラリーマン金太郎。一応天井狙いだったんだが、そいつでまさかの大逆転! …といっても5000枚だったんだけどね。でも、ぜんぜん勝てていなかった数日間の収支をひっくり返したその破壊力、意外と面白かった出目演出や液晶演出。これまたいまさらながらもう少し打っておけば…と悔やまれる台でした。「まだまだぁ〜っ!」って金太郎の叫び声、今でも思い出します。 私よりも私の弟子が好んで打っていましたわ(^^; |
いやぁ、びっくりしましたわ。あらためて日記を見返してみると、今までネオプラの方を先に打っていたと思っていたら、しっかりキンパルが最初でした(^^; ってことで、キンパルを先にご紹介。 ネットのBlackJackから端を発したストック機。当初はボーナス成立時or消化後のART(AT+RT)中にストックを貯めて全放出、というタイプ(サミーのハードボイルド2)が主流でしたが、山佐から4号機終焉までのスロット界を支えるシステム「サイレントストック」を搭載した機種がリリースされました。「スーパーリノ」、そして「キングパルサー(初代)」です。 それ以前のストック機は、ボーナス成立時orボーナス消化後にRTに突入し、リプレイが揃いまくりつつ小役も引くため、RT中はコインが増加してきました。ところがスーパーリノは、内部で超高確率で成立したリプレイを制御で強制的に取りこぼして表面上は通常時と変わらず、ST解除要因を満たすとSTゲーム数テーブルを用いて意図的にストックしたボーナスを連荘させる、というものでした。スーパーリノは、以前裏モノとして猛威を振るっていた「リノ」の5G連Ver.(この表現が合っているのかどうかは…ゴメン、打ったことないんだわ(^^; )をストック機能を用いて再現したものでした。ただ、このスーパーリノ、ST中と非ST中でハズレ時に制御が変わってしまっていたため、ST中かそうでないかがある程度見抜けてしまっていたのです。そのため、早々に末期症状(ゾーン抜け即ヤメ多発)へと…。 そのST継続ゲーム数選択テーブルを改良し、ニューパルで実しやかにささやかれていた「山佐連」をうまく再現したのが「キングパルサー」です。 チープながらも味のあるドット絵での、15G前、5G前から始まる蛙の連続演出。バウンドストップ、通常時及びBIG中の技術介入、設定判別およびボーナス放出ゲーム数を材料とした設定推測。凝り性の私はすぐにとりこになりました。 もちろんST中と非ST中のハズレ時の制御は改良されていたため、ストックの有る無しは推測するしかなく、立ち回りにおいて個人の技量がモロに影響していました。 日記を見返すと、初打ちは2002年4月25日、本格稼動が7月12日、初勝利は8月12日となっていました。まぁ、本格稼動と言ってもこのころはまだ全体の1割程度で、ストック機ではアルゼのバベルを少々、他はまだまだHANABIと大花火がメインでした。が、8月中旬の初勝利を機に次第に稼動が上がっていき、年末にはネオプラとキンパルがほぼ半々の稼動、2002年および2003年の収支に大きく貢献しました(2001年までは年間+50マソぐらいだったのが、2002年にはあと一歩で大台。2003年は大台を軽く突破し、150マソオーバー。ホント蛙サマサマでした)。 高設定を打ったことはほとんどなく、唯一ストック切れっぽい6を終日粘り倒して5000枚獲得した時には、ホントに攻略しているって気になりました。恐らく低設定ばかりを打たされていたにもかかわらず、収支的には大幅なプラスとなったのは、その特異な立ち回り(設定狙いよりもストック数狙いを重視)に寄るところが大きかったと思います。 また、立ち回りで四苦八苦していたころ、某白夜書房の某パニック7が運営していた掲示板(公式運営ではなく、編集者の1人が運営していたらしい)を知り、ここで論議を交わしていくうちにo.s.k.の面々との交流が育まれていきました。惜しむらくは、パニック7の掲示板が荒らしにより閉鎖へと追い込まれたこと(携帯サイトは現存)。o.s.k.のメンツとは、各自のHPや掲示板等で人脈を繋ぎつつ、現在も掲示板、ブログ、携帯メール等(笑)で交流が続いているのは、私にとってはキンパルのおかげと言っても過言ではありません。 5号機規定の発表に伴うみなし機種の再認可申請により、2007年6月末日まで現役稼動、ひっそりとご引退されました。ホントにご苦労サマでした。 やまさんのHPでも4号機回顧録で初代キンパルが紹介されています。 また、o.s.k.メンバーのCDミッション氏より寄稿して頂きました(私とは対照的に、6狙いで立ち回っていた方です。この様に幅広い立ち回りが出来たのもキンパルならでわ)。この場を借りてお礼申し上げますm(_ _)m |
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<CDミッション氏より寄稿> 私が最初にキンパルを打ったのは、発売されて間もない頃でした。知人が座っている横にちょこんと座って、10kくらい使って止めた記憶があります。 当時はAT&液晶全盛期の頃だったので 「ツマンネぇ〜、なんだこれ!怒」 で、終わった記憶があります。 「この台は知っていれば食えそうだ...」
その日からデーターを取り、予想ストック数を割り出し、ほぼ毎日の出動〜データーを蓄積していけば自ずと収支は安定し始めました。 「ストックありそうなのに、何故?」 そこでテーブルをきちんと理解するまで自分なりの考えをまとめました。
「キンパルは内部はニューパル、切れて当然、切れるとRTテーブルが深めが選択されやすい」
もちろん、全ての台にこの打法が当てはまる訳ではありませんので、あくまで優先順位の最上位に位置付けました。その方法で更なる安定した収支をあげていました。 そんな私もこの日がやってきました。 2007年6月30日 回ります。 回り...あれ? 当たらないぞ!! つーか、頭上のカウンターは1280Gですが...(TT)
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ワリ、ホント、今度こそ
ネオプラネット
なのねん。